どうも、みなさまこんにちは。
今回は2021年7月から10月まで放送されていた
『Sonny Boy』について紹介していきます。
SunnyではなくSonnyで、サニーボーイと読みます。
意味合いはティーンエイジャー的な感じだと思います。
この作品はYouTubeでたまたま全話無料公開されていたのを発見し
サムネから窺える作画がちょっと好みだったので
とりあえず触りだけ見てみよっかなと思って
案の定おもしろくて全部見てしまった作品です。
そんな『Sonny Boy』についてネタバレありで紹介していきます!
どうぞ!
©Sonny Boy committee
作品について
この作品に原作は存在せず、アニメオリジナルです。
監督は夏目真悟さんという方で制作会社はマッドハウスです。
夏目慎吾さんはハチミツとクローバー、NHKにようこそ!、
四畳半神話大系などのアニメの作画監督などを務めております。
どおりで私がSonny Boyのサムネに惹かれたわけですね。
全12話でわりとコンパクトにまとめられおり、
かなり哲学的な要素の色濃い作品となっています。
Googleのサジェストには「意味がわからない」などと出てくるほど。
エヴァンゲリオンを別視点から作ったらこんな作品になるのかなと、
ある特定のテーマだけ切り取ればそんな印象を私は抱きました。
ただ、この作品の魅力は意味がわからないと思っていた部分も
きちんと意味があり、掘り甲斐のある作品です。
エヴァンゲリオンやシュタインズゲートが好きな方や
ミステリーやSFチックな作品好きには
かなり刺さる作品だと思います。
ただ、SFチックで難解な世界の仕組み的なものだけが魅力ではなく、
登場人物たちの抱える問題など、
人が生きる上でどうすべきかが
この作品には凝縮されているのではないかと私は思います。
何が正解で何が間違いとかがあるわけではなく
「どう生きるか」という個人の主観が大きなテーマとなっています。
物語
白糸第二中学校と、その生徒たちによる物語です。
まずこの作品を語る上で
一番重要になってくるのは時系列だと思うのですが
私が私なりに解釈した時系列はこちらになります。
どうしてこのような図に至ったかと言いますと、
下の方の目次にもあるのですが、
「作品に残されている謎」部分に掛かってくるところが大半で
そこで詳しい解説をします。
まず”元の世界“と表記しているのが
長良たちが最初にいた現実世界のことを指します。
そして”この世界“と表記しているのが
長良たちが漂流した超能力とかが使える世界を指します。
漂流
この作品の核となる部分ですが、
なぜかクラスメイト36名が
学校ごと漂流してしまうというのが
この物語の始まりであります。
漂流した先の世界においては
超能力というものがそれぞれ使えるようになっており
主要メンバー陣の能力は重要な役割を担っています。
主人公の長良は“この世界”そのものを作り出す観測者
希はどこにいても一点を示す光を見ることができるコンパス
瑞穂は望んだものを3匹の猫が持ってきてくれるニャマゾン
ラジダニはプログラムを実世界に反映させられるポケコン
とされています。(公式サイトより引用)
さらに全体的な世界のルールとして、
物質が静止しているような感じになっており、
怪我をしても元に戻るし加齢もしない。
漂流前の最初から怪我をしていた人物はずっと怪我をしたまま。
しかしお腹は減るし眠くもなるようで、
時間の流れも認識できているようです。
そんな世界を生徒全員で謎を1つずつ解明しながら
異世界での生活を乗り越えて元の世界に戻る方法を
なんとかして探り出すといったサバイバル要素あり
青春要素あり、SF要素ありな欲張りセットです。
1話~5話までは人間関係の構築と
“この世界”の謎の解明の触りの部分
といった感じになっています。
『漂流教室』という昔の漫画がありますが
私は読んだことないので似ているのかどうか分かりませんが
第一コンセプト的な部分はまさにこれなのではないでしょうか。
卒業
この世界は一体どうなっていて、
我々の能力がどう作用できているのかを測り
様々な困難を乗り越えて元の世界へ戻る方法を
なんと全体の半分にあたる第6話で実践しようとします。
しかもこれがわりと核心に迫っているようで
観測者である長良がいることで成り立つ方法らしく
その名もディレクターズカット作戦。
これは元の世界におけるシーンに
今ここにある自分たちを投映することで
元の世界へと帰れるのではないかという作戦です。
ここらのシーンは曲とか演出とか
マッドハウスらしさがあってかなり好きです。
しかしこの作戦を決行するも
元の世界とされていた場所にも自分達は存在していました。
厳密に言えば別の意識の持ち主ではありますが、
そもそも最初に漂流した時に、
生徒会長である明星が、自分達が漂流したことによって
生徒失踪とか行方不明とか大きな事件になって
色々な人たちを心配させているのではないかと
そんなシーンがあるのですが
このディレクターズカット作戦で判明したこととしては
オリジナルの存在は元の世界に居続けたままであり
この世界に漂流した自分達の存在はコピーであるということ。
実に不可解かつどういうコトってなりますよね。
元の世界にはオリジナルが存在しているわけですので
我々は帰る必要がないのです。
というか帰れる術がないのでしょうかね。
元の世界が卒業式というのも相まって
この事実を目の当たりにした生徒たちは
帰れないということにショックを受けます。
ある意味、義務教育という環境から旅立ち、
自分自身の生きる道をこれから
探して歩いていかなくてはならないという
卒業という暗喩でもあるのかもしれません。
この世界
7話以降の卒業式後の後半に差し掛かると
クラスメイトたちはそれぞれの道を各々で見つけ出し
それぞれのやりたいことのために生きていくため
散り散りになってしまいます。
長良、希、瑞穂は帰る術を模索し
この世界をより深く知るため探索を続けます。
様々な世界を知っていく過程において
希が命を落としてしまいます。
厳密に言うとこの世界において、
高所から飛び降りたりナイフで腹を切ったとて
死にはしない静止したような世界なのですが、
希は崖から足をすべらせて奈落の底へ落ち
物理的なコンパスとなってしまいます。
ラジダニが2000年の旅から帰還し、
その末に見出した死というものの概念を語るシーンがあり
非常に印象的でした。
彼は衝動の終わりこそが
ラジダニ (Sonny Boy 11話)
自分という命の終わりだと知ったんだ
これは、この世界での死の1つの形だ
今となっては何故彼が死に取りつかれていたのかは分からない
けど長く生きてみて分かったよ
色々な経験や何やらが積み重なっていくと
どんどん歪な何かが出来上がっていく
それが大きくなっていくと1つ1つの意味が薄くなって
均一化されていくっていうのかな
自分が偏っているのにどんどん無感動になっていくのが分かるんだ
最後にそれはぽっかり歪な穴になる
僕も時間に干されていつかは希みたいにただの形になる
でもこれは静止に織り込まれた1つの状態にすぎない
それを死というのなら元の世界の死と変わらない
魂なんてものはなくて
意識は何の意味もなく生まれて
ただ消えていく
人生は果てしない徒労だ
でも全くの無意味だからこそ
生きているこの瞬間
その輝きは尊いと思うんだ
それはその時
その人だけのものだからね
希の死を再認識させられるのですが
長良と瑞穂は元の世界へ帰ることを諦めず
2000年の旅から帰還してきたラジダニの協力を得て
ロビンソン計画を実行します。
この計画はスペースシャトルを組み立ててそれに乗って
希のコンパスが指し示す方角を目指すというものです。
なんやかんやあって
無事に元の世界(?)へ帰ることを果たすのですが、
長良も瑞穂もパッとしない日常を過ごしています。
漂流した時の記憶に関しては長良も瑞穂も持っていますが
他のクラスメイトたちには記憶はありません。
もちろん希にもです。
そしてなんと元の世界(?)で希は生きており、
朝風と付き合っているような関係でした。
希は長良のことを中学の頃に
同じクラスメイトだった程度の印象しか持っておらず
漂流した頃の希との関係値を考えると
天と地ほどの差で心がいたたまれません笑
希のコンパスが指し示す方へ向かって辿り着いた世界で
これは希が望んだ世界なのかもしれない
みたいな可能性もありますね。
でもだとしたら長良のことを忘れるかなって思いますが
忘れてしまっていた時用にお互い約束を交わしていました。
でも
希 (Sonny Boy 11話)
ここでは確かに起きたんだ
じゃあこうしよう
覚えていた方が言う事にしよう
もう一回、友達になろうって
ね、約束
絶対に断らないって
もしかしたらこの約束待ち込みで
希が望んだ世界なのかもしれません。
作中では約束を果たす描写はなく、
人生はまだこれからだ 先はもう少しだけ長い
という長良のモノローグを最後に作品は終わります。
しかし長良は特に絶望しているわけでも
悲しんでいるわけでもなく
満足気な面持ちであります。
希がいなくなってしまった世界を経験したからこそ
ただ希が生きて笑っている姿が見られたから
それで良しとしているのかもしれません。
考察
この作品に残されている謎の部分に関して
本作品を12話すべて見てもすっきりしない部分が多いので
何気ない様々な描写から見て取れる点を
私の独断と偏見を交えて考察してみました。
再びこの時系列の図を見て頂きたいのですが
主にこの図をもとに説明していきたいと思います。
あき先生の正体
この疑問は結構Googleのサジェストにも上がってますが
普通に作品を見ていれば理解できる要素だと思います。
やまびこやこだま達がどうやって”この世界“に来たのかを
今一度振り返ってみましょう。
彼らは長良たちよりも後に白糸第二中学へ入学した生徒で
でもなぜか5000年ほど前から”この世界“に存在しています。
そんな矛盾がなぜ可能かというと、
“この世界“に連なっている様々な世界は時間の流れが異なります。
やまびこは長良たちが卒業した年に入学し
3年生の頃に漂流したと話します。
時空が異なるため”この世界“に漂流して5000年が経過。
未来から来た先輩漂流者という事象が可能になります。
あき先生も同様に考えてみましょう。
あき先生は教師で長良たちよりも年上です。
彼女もまた白糸第二中学校の卒業生であり、
在学中に漂流したと考えられます。
では”元の世界“のあき先生はなぜ存在するのか。
それは長良たちが6話で覗きにいった”元の世界“と同様に
漂流したとてオリジナルの存在が消えるわけではないので
長良たちが”元の世界“で認識していたあき先生というのは
漂流しなかったオリジナルの方の存在であり
中学を卒業したのちに教師となった姿です。
そして漂流した”この世界“で出会ったあき先生は、
教師としてのあき先生というわけではなく
中学生の頃に漂流したあき先生というわけですね。
瑞穂の本当の能力
このテーマを理解することで
漂流の真実へも併せて近付けると思います。
ニャマゾンという能力として紹介されている瑞穂ですが
9話、10話でこの真実について説明がされています。
物を複製できる能力というのは
あくまで猫たちの能力であり
瑞穂自身の能力ではありません。
そして生き物がコピーできないとされていましたが
猫たちが瑞穂の立場を鑑みて
本当は生き物もコピーできるけど
あえてコピーしなかったようです。
では瑞穂の能力は何かと言うと
それは静止させる能力です。
10話の終盤にニャマゾンで注文した鶏が死ぬか
実験するシーンがあります。
右が瑞穂が注文した鶏で、左が長良が注文した鶏。
(長良の視点で左右を定義しています。)
この描写から読み取れる結果としては
どちらもナイフを使って血を流しているにも関わらず
右の鶏が死なずに生きているということです。
つまり瑞穂が注文したものは、
長良たちの身体自身に起きている状態と同じように
静止しているのです。
血を流したり怪我をしても勝手に元の状態に戻るし
漂流時から怪我してた人物はいつまで経っても治らない
これは世界そのものが静止していると言えます。
・・・つまり”この世界“を注文したのは誰なのか
それは瑞穂と言えるでしょう。
ここで冒頭の第1話を振り返ってみると
意外な事実が描写されています。
まず時計の針が正午に差し掛かり
そのあと「ゴトッ」という効果音があります。
これは瑞穂がニャマゾンで物を注文した際に
猫と一緒にダンボールが届けられるシーンにおいて
よく耳にしていた効果音と同じだと思うのですが
この「ゴトッ」という音と共に
世界の複製は完了されたのだと思います。
そして不自然にも再び時計の針が
正午を指すカットが出てくるのです。
この時に瑞穂が何を思って何をしていたのか
詳細な理由までは作中で語られてはいませんので
憶測で考えることしかできませんが
瑞穂が”元の世界“に嫌気がさしたのか
誰も死なないような世界を望んだのか分かりませんが
そんな注文を猫が叶えて漂流が起こったのでしょう。
作中で瑞穂自身が死に対して
過剰に恐怖を抱いているという描写もある故に
その能力が静止なのでしょう。
そしてその世界はなぜ学校だけだったのか
これは瑞穂自身が知り得る世界のすべてが
学校というものまでしか見えていない
思春期の少年少女にありがちな
狭い視野による世界観だと考えられます。
(教師が漂流しない理由は謎ですが。。。)
では創造主であるのが瑞穂なのであれば
なぜハテノ島をはじめとした様々な世界が存在し、
そもそも複製である”この世界“を創り出したのに、
瑞穂たちが漂流する以前の過去が存在しているのか。
これに関しては長良の能力が関与しており、
長良が観測したことで
“この世界“というものはこういうものなのだ
という認識によって過去が作られ
多数の世界が存在するようになったのだと考えます。
ただこれの難しいところが”元の世界“と”この世界“
それぞれ異なる別の過去であるということです。
“この世界“にいる長良が過去を振り返る時、
それは”元の世界“の記憶のものだと思うのが普通ですが
これは長良が観測したことによって生み出された過去
つまり”元の世界“とは異なる記憶ということになります。
上記の時系列の図解を見てもらうと分かるように
“この世界“に漂流した瞬間から
“この世界“で生成された過去を
回想しているだけに過ぎないと言えます。
その証拠とも成り得るのが
上記の画像のシーンなのですが、
1話と6話の屋上でのシーンの対比になります。
時系列的には全く同じ時のものであると思いますが、
状況が異なっていることが分かります。
この違いは長良が希と出会っているか否かで
嫌な気持ちになったか、そうでないか
の違いによって空の景色を表現していると考えられます。
6話での屋上のシーンは”元の世界“なので
長良は”元の世界“にて屋上で希と出会っていないのです。
そして1話での屋上のシーンは”この世界“となるので
“この世界“における過去=”元の世界“のものではない
という証明が出来ると思います。
長良の観測者としての能力によって生まれた過去なのです。
「シュレディンガーの猫」という
量子力学における有名な思考実験がありますが
箱の中身を観測するまでは
猫が生きているか死んでいるか分からない状態。
長良の能力はまさにこれと同じで
観測することによって世界が確定した、と。
“この世界“を創り出したのは
瑞穂でもあり長良でもあると言えます。
希はいつ死んだのか
6話の卒業式にて
“元の世界“で希が死亡していることが判明しますが
では希はどの時点で亡くなったのかについて。
私の考察は単純にシンプルに
漂流が起きた後から卒業式までの期間のどこか
だと考えています。
そもそも希に関してですが、
転校生で帰国子女でベルリンからやってきたそうで
この設定が長良の観測によって
勝手に作られたものではないとするのであれば
クラスメイトが希の死を悲しむ描写から見るに
希はクラスに馴染んで友達も出来て、
そのあと死亡したと考えるのが普通かなと。
別の考察者の方が、結構前から亡くなっていた
という説で解説しているのを見た事あるのですが、
結構前から亡くなっていたとするのなら
卒業式の日にわざわざ花を立てて泣くのかなと。
残酷にも人って時間が経つにつれて状況に慣れていくもので
そもそも3年生より以前に亡くなっていたとするなら
クラス名簿にも存在しなくなると思います。
学年が変わるタイミングで故人をわざわざ
出席番号を振り直して生徒として管理するとは思えませんし
作中の冒頭である8月16日の時点で
転校してきたばかりという設定は
“元の世界“においても変わらない事実であり
亡くなったのは卒業する日のわりと近しい日
が有力な説と考えてます。
そもそも5話で長良と希が
釣りをしているシーンがあるのですが
そこで何の脈絡もなく
希が死亡したような描写が
突然挿入されているのにお気付きでしょうか。
花瓶の割れる音と共に
少女が床に倒れて瞳孔が開いています。
十中八九この人物は希であると言えますが、
ではこの希はいつの、どこの希なのか。
これって単純に”元の世界“と”この世界“って
実は時間が並行に同じペースで進んでいて
6話の時点で卒業式ということは、
5話のこの時点で”元の世界“の希が死亡したと仮定すると
卒業式の直前に不慮の事故か何かで
亡くなってしまったのではないかと考えられます。
持病か何か持ってて
ドイツでしか受けられない手術を受けて
そんで帰国してきたとか色々考えたりもしたのですが
この死亡したであろうシーンの描写的に
病死ではないんじゃないかなという点と
病気があるとしたら”この世界“に漂流した時点で
ずっとその状態で暮らしていくわけですので
体調がしんどそうな描写があっても良さそうですが
そんなものは一切なかったので
やはり不慮の事故か何かで亡くなったのが有力そうです。
そんでもって最後に長良と瑞穂が辿り着いた
希が生きている”元の世界“と思わしきところは
希が死亡した事実までは塗り変えられないと思うので
2人でまた別の世界を創り出して
完全には”元の世界“ではないけれど
それに近しい第3の世界へ行ったのではないかなと
わたくしは思っております。
ラジダニは実在するのか
これに関して誰もあまり
疑問に思ってないのが不思議なのですが
ラジダニって”元の世界“にそもそもおる?
作品を再び見返してみても
決定的となる証拠とかは特段ないので
“元の世界“にラジダニが
存在していないと言い切ることは出来ませんが
でも存在していると言い切ることも出来ません。
“元の世界“における描写の中で
どこを見てもラジダニがいるシーンがないのです。
「クラスメイト達は違和感なくラジダニを認識してる」
というツッコミがあると思いますが
ここで説明したように観測者によって生み出された
“この世界“の過去なのだとしたら
“元の世界“に実在しない人間が”この世界“にいても
“この世界“における過去が存在する以上は
誰も疑問を抱くことはありませんよね。
“この世界“における思い出も存在するので
“元の世界“に実在してなかったとしても
何も不自然なことではありません。
それと不可解な点がいくつかあるのですが、
これを見てください。
Sonny Boyの背景美術を担当している
スタッフさんのツイートなのですが
「瑞穂の描いたラジダニ」と書かれています。
まず作中でこれが登場するシーンがどこなのか
振り返ってみましょう。
これは11話の希の葬式を行うシーンで
長良と瑞穂はハテノ島で葬式に使えそうなものを
色々と集めている様子です。
そこで瑞穂が学校内を物色している時に
この絵が登場します。
ここのシーンは曲と画だけで見せているので
特にこれといった説明は言葉として無いので
様子から察することしかできないのですが、
額縁を使いたいが為に絵だけ置いて行った感じです。
この絵が瑞穂が描いたラジダニなのであれば
これは漂流する前から、
つまり”元の世界“に存在していたものとなります。
ここで考えられるのが
瑞穂の理想の人間ラジダニ説です。
まず学校生活で同級生の絵なんて描くかな?
と、私は思うところがありまして、
相当仲が良かったりしたら有り得なくはなさそうですが
漂流した序盤の数話を見る限り
特段ラジダニと瑞穂が仲良さげな描写はありません。
瑞穂が理想とする空想上の創作”ラジダニ”がいて
漂流したことで具現化したのではないか。
“この世界“を願って注文したのが瑞穂なのであれば
それは不可能なことではないと思います。
もうひとつ気になる点として
ラジダニが2000年の旅に出る別れの時に瑞穂は
頬をほんの少しだけ赤らめて悲しそうにしています。
恋愛感情というものではなさそうだけど
自分が理想とする完璧人間を前にするような
感情なのではないでしょうか(…無理があるか?)
この頬ほんのり赤らめに関しては、
ラジダニが2000年の旅を終えて
ふたたび再開した時にもありました。
以上の要素から私はラジダニって
“元の世界“に実在してないんじゃね
って考えています。
ラジダニが存在しようがしまいが
どちらにせよ確証となるソースはないので
考察の域を出ることはない謎ではあります。
感想
なかなかにビターエンドではありましたが、
私がこの作品を通じて一番に感じたことは
世界ってのはその人の主観で成り立っているものだと。
その人自身の本質は同じであれ、
付随してくる環境や能力が異なれば
付随された環境や能力が与える影響のもとの中で
成るようにしか成らないのではないのかなと思います。
結局、現実世界であろうが
超能力が使えた漂流世界であろうが
生き方ってのはその人から沸き上がるエネルギーで
どんな世界を選んだとしても
その人にとっての現実はそこにしかない
いつだって選択を下すのは自分自身である。
って感想を抱きました。
久々に考えさせられる面白い作品で大満足です。
端折らなくてはいけない部分も多く出てきますが
映画化とかもいけそうな気がしなくもないです。