どうも、みなさまこんにちは。
今回は米津玄師の『パプリカ』と、
併せて日本の伝統文化について語っていきたいです。
なぜ日本の伝統文化が関わってくるのかと言うと、
後ほど紹介する『パプリカ』のMVが
それらを彷彿させるような内容となっており、
古き良き日本の文化のルーツや
現代人の思う日本のこれからについて
色々と考えるところが多々あるなと思い
当記事を執筆するにあたっています。
それではどうぞ!
目次
米津玄師『パプリカ』
概要
まず『パプリカ』という曲なのですが、
これは元々2020オリンピックのテーマ曲みたいな
そんな感じの楽曲としてFoorin(フーリン)
という子供たちで結成された国営放送専属ユニットが
元気いっぱいに歌っているというのが初出で、
これを作詞・作曲したのが米津玄師さんです。
僕は中学くらいの頃からテレビは殆ど見ない
ネットの申し子だったので、
当然今回のオリンピックにも全く興味関心が無く
なんとなくネットニュースで知ってる程度でした。
これが世に出たのが2018年頃らしいです。
程なくして1年後に米津玄師ver.なるものが
YouTubeに投稿されて、Foorinが歌う
子供たちの元気いっぱいさとは打って変わり
どこか物悲しいような切ないような雰囲気の
仕上がりになっています。
それが以下のMVになります。
曲調も米津さんらしく大きく変わっているのですが
物語性を感じるようなMVで印象を焼き付け、
日本の田舎の漁港のような場所を舞台にし、
とある家族が里帰りしてきた夏休みのような、
過去と現在を織り交ぜた情景を彷彿とさせています。
実際にパプリカの花言葉として
「同情」「憐れみ」「君を忘れない」
などの意味があります。
これらのミスリードからなのか分かりませんが
震災を題材にした曲であると
解釈している人もおられるようですが真相は謎です。
僕はもっと広義の意味を持っていると思います。
MVから読み取れるものは
このMVでは曲のサムネにも写っている
少女のような子どもが登場しています。
そして主人公のような少年とその妹と、
母親と父親などなど
導入は青年となった主人公が故郷を訪れ、
子どもの頃の姿に変わって回想が始まる
みたいな流れです。
そこでマントをつけた謎の少女が登場し、
一緒に仲良く遊んでいるような画が主に1番で
2番以降からはどうやら大人には
そのマントの少女は見えていないようで、
で、その少女は雲の上を走り回ったりと
なんだか自由奔放に動きまわっています。
Cメロあたりではまた主人公が青年に戻り
帽子一杯の花を手向けにやってきており、
マントの少女は外見が昔と変わっていません。
既に故人なのではという憶測もありますが
僕は概念的な存在だと思ってます。
主人公の昔の友人とかそういうものではなく、
MVの中に所々登場してくる彼岸花を見て、
まず先祖を供養するような意味合いが取れます。
その中でも平和の象徴に使われる鶴がたびたび登場します。
本当は折り鶴が“平和のシンボル”なのですが
アニメーションだからあえて本物の鶴が
出てきているのではないでしょうか。
先ほどマントの少女は概念的なものと上述しましたが、
現在の日本がこのようにして平和で在り続いているのは
国のために戦ってきた先祖たちや、
もっと昔からこの国を護ってきた人たちのおかげで
今ここに、この国が存続しているということが
紛れもない事実であると僕は考えます。
そう考えたときに、この曲って
元はオリンピックをテーマに作られた曲ではあるものの
米津玄師verではどこかお盆のような雰囲気があるのは
世界平和を究極の目的としたスポーツの祭典から辿るに
“今”が在り続けることを考えたとき、
過去に生きてきた人間が繋いできたものを
尊いものを享受しているのが、
あのMVに顕れているのではと僕は思っています。
すなわちマントの少女は日本の先祖みたいな
個人を指し示す者ではないと思いますね。
僕はどう足掻いても22世紀まで
生きることができないのですが、
それは一世代前の人たちも同じで、
特に戦争を経験されたことのある世代は、
どう足掻いても21世紀まで生きることができないけど
戦争に敗けてその後の高度経済成長で
国が豊かになっていく様を目の当たりにして
今ここにある2021年という現在を
どれほど生きてみたかったか。
どの世代、どの国でも同じ事が言えます。
今自分自身がこの時代この国で生きているというのは
そういった人々の思いを背負って
現在を生きていることになります。
伝統文化の代表格「お盆」
先祖がどうとか散々言ってましたが
では祖先の霊を祀る一連の行事であるお盆とは
実際のところ何なのか気になったので調べてみました。
お盆の期間
お盆の期間は、一般的には8月13日~16日の4日間。
2021年は、8月13日(金)~16日(月)です。
かつては、旧暦の7月13~16日がお盆だったらしく
新暦でいうと、8月中旬~9月初旬ごろです。
お盆の起源はよく分かっていませんが、
日本では古くから真夏にご先祖様を
供養する風習があったようです。
そこに、仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という、
旧暦7月13~16日に行われる行事が伝わり、
だんだんと一つの行事になっていったと考えられています。
明治6(1873)年に日本は新暦になり、
多くの地域では、分かりやすくちょうど1カ月ずらして(月遅れにして)、
8月15日前後に行うようになりました。
このお盆は、かつての旧暦のままに近いので
「旧盆」「旧のお盆」と呼ばれることもあります。
地域によってお盆の期間が異なる
地域によってお盆の期間は異なるそうです。
「旧盆」も含め、代表的な3パターンを挙げてみます。
●7月13日~16日の地域
・東京の都市部(多摩地区以外など)や、金沢市の旧市街地、静岡市などの一部の地域
これらの地域では、新暦が施行されるとともに7月15日に移行し、
「新のお盆」、または「東京盆」と呼ばれることもあります。
東京に住んでますけど初めて知りました。
●8月13日~16日の地域
・「新のお盆」エリアと、沖縄県、鹿児島県奄美地方を除く、ほぼ全国
多くの地域がこの「旧盆」を選んだ理由は、さまざまな説がありますが、新暦に移行すると農繁期にあたることや、梅雨が明けきっていないこと、東京と地方でお盆の時期がずれることで親族が集まりやすく、定着しやすかった…と、いろいろ理由があったとかなんとか。
●旧暦7月13日~16日の地域
・沖縄県と鹿児島県奄美地方
沖縄と奄美地方では、今も旧暦にのっとってお盆が行われるため、年によって日付が変動します。他の地域より1日短く、旧暦7月13日~15日の3日間が一般的です。
沖縄の伝統芸能「エイサー」はいわゆる盆踊りで、ウークイと呼ばれる3日目に演舞が披露されます。
お盆期間中には何をするの?
●13日
夕刻に、「迎え火」を焚いてご先祖様をお迎えします。
火を焚くのは、ご先祖様が迷子にならないように
との願いを込めたものです。
●14、15日
お盆の間、ご先祖様は精霊棚に滞在すると考えられています。
果物や甘味、お膳などをお供えしましょう。
●16日
ご先祖様は午前中まで自宅にいるといわれているので、
朝はお供えをします。夕方暗くなってきたら、
「送り火」を焚いて送り出します。
現代では、電気式の盆提灯がよく使われています。
お盆の行事といえば盆踊りがあります。
ご先祖様の霊をなぐさめるための念仏踊りがルーツともいわれ、
そこに豊作祈願や、庶民の娯楽としての要素が加わり、
各地でさまざまな形の盆踊りが発達したみたいです。
お盆の行事
各地域によって行事や風習はさまざまあり、
各地で育まれてきた個性豊かな行事の中には、
今も地域の風物詩として息づいているものがあります。
今の時代まで届いてきたものだからこそ、
これからの未来にも残していきたいものですね。
以下、代表的な行事を紹介します。
●五山送り火(ござんおくりび)
8月16日、京都を囲む東山如意ヶ嶽、松ヶ崎西山・東山、
西賀茂船山、大北山、曼荼羅山の5つの山で行われる送り火。
お精霊(しょらい)さんと呼ばれるお盆の精霊を送る伝統行事で、
「大文字」とも呼ばれています。
●精霊流し(しょうろうながし)
毎年8月15日に長崎県で行われる、
故人の霊を極楽へ送り出す伝統行事。
川に流すのではなく、新盆(初盆)を迎えた遺族が
おみこしのように大きな精霊船(車輪付き)を引いて、
街中を練り歩きます。
「ドーイドーイ」という掛け声とともに鐘を打ち鳴らし、
大量の爆竹をバンバン鳴らすという大音響のイベントです。
生きているからこそ思うこと
こうやって何気なしに日本という国に生まれて
何気なしに風習というものがあって
子供の頃とかになんとなく知って、
ふと大人になってみると
起源とか、いつから伝わったのかとか、
色々と考えてしまうようになっちゃうんですけど、
僕がここ最近よく思うのは、
この地球が存在していて、知的生命体が住んでいて
命を繋いで何千、何万年も存続していて、
そしてそこに人間の心を反映したかのような
まごころと言うべきものでしょうか、
古くから伝わっている文化って
時代がいくら変わっても人の心の在り方というものが、
そこに反映されているものなのだなと
改めて思わされてしまっています。
タイムマシンとかがあれば本当の起源を知れるのでしょうが、
時間という膨大すぎるものの前では
いつだったか、どこだったか、なんだったのか
曖昧なものになってしまうけれど、
でも今ここに言い伝えとして残っていることが
とても尊いもので、我々も次の世代に
伝えていかなくてはいけないのだと
月並みのような戯言ですが、思いますね。