死んだらどうなるのか教えます


どうも、みなさまこんにちは。
今回は死んだらどうなってしまうのかについて語ります。

これは学術的なものに基づくなにかであったり、実際に臨死体験をした経験談であったりとは、全く無縁の僕の頭の中で考えた結果の話です。
妄想やんって言われたらそれまでの話ですが、現状生きてる人間しかこの世にいないわけで、死んだ人間が「死んだらこうなるでw」って伝えることは不可能なわけですので、頭で考え得ることを捻り出した答えとなっています。
そもそも、現代を生きる人たちって〝死〟に関して鈍感というか無関心というか、あまり意識してないことが僕にとっては不思議なので考えてみました。

それではどうぞ!

死んだら〝無〟になる


結論として

結論から言ってしまうと死んだらになります。
〝無〟という状態がどういうことなのか想像つきにくいかもしれません。
生まれる前のことを思い出してみてください。
なにも記憶がありませんよね。
なのに西暦は2000年近くも時を重ねております。
人類の歴史自体は500万年前くらいとされております。
そんだけ長い間この世界は回り続けていたにも関わらず
生まれる以前の記憶がない
しかも自分が生まれてくるに至るまでに
「長い」だなんて思わなかったことでしょう。
人生の主観が自分にしかないことが証拠に
歴史なんぞ教わらなければ
この世の始まりが、世界の始まりが
自分を起点としているのかさえ思えてしまうことでしょう

しかし自分を産んだであろう親は
自分が生まれた時点で良い歳になっています。
その親の親も自分が生まれた時点で遥かに歳を重ねており
でもきちんと1年1年と生きてきた歴史を刻んでいたようです。
自分の意識がこの世に誕生したよりも前から世界は存在しており
同じ時間の速度で動いていたことが分かります。

つまり、自分が生まれる前は〝無〟という状態なのです。
では死んだらどうでしょうか。
同じ状態に戻ることが一番合理的で可能性が高いと思います。
よくある宗教的な思想では極楽浄土とか天国とか
死んだら行ける場所が色々とありますが
そもそも生まれる以前の記憶がないのに
なぜこの世に生を受けて絶命したら、新しい場所へ行けるのか
あまり現実的な考えではありませんよね。
でも宗教的な思想というものはその時々の人々の救いになっていたという部分が非常に大きいのも分かっておりますし、歴史や文化を重んじる観点からするといつの時代も人間は同じようなことに恐れをなして希望を持っていたのだということが理解できて非常に大切にすべき思想でもあるとは思います。(※筆者は無宗教です。)

わたしの死への意識

子供の頃にも死ぬことについて考えたことがあります。
僕の祖父は僕が幼稚園児くらいの頃に亡くなってしまったのですが、
そのころは当然どういう意味なのかもよく分からず
一緒に暮らしていたおじいちゃんだったのですが、
いなくなってしまって寂しいとかも思わなかったのかもしれません。

そのころの年齢ってわりと刹那的に生きているというか
たぶん少し賢い犬くらいのIQで
ただ今だけを生きているみたいな感じです。
葬儀のことはなんとなく覚えていますが、
棺桶に入った祖父がどこかに入れられて
宇宙のどっかにワープしてしまったのだと思っていたことを覚えています。

こんなことを思っている幼少時代は当然に死についてなんとも思っていませんでしたが、小学校4年とか5年とかくらいに、謎に死ぬことに関してものすごい恐怖に襲われたことを覚えています。

中学生くらいの頃には、自分は何度目を覚ましても自分でしかなくて、この身で一生を生きていくのだということをやっと自覚し、それと同時に死んだら何者以外でもない自分なのだから、誰かに転生するわけでもなく、生まれる前の状態に戻ってしまうのだということを怖く思っていました。
しかし考えても仕方のないことだということで、考えるのをやめました。

そしてここ最近になって
また、やたらと死を意識をするようになってきてしまいました。
それは残虐なニュースであったり、世界で起こるテロ事件であったりと
様々なことが要因にはなっているかもしれません。
寝ていて意識を失っているときが一番それに近いのだと思いますが
静寂の中で体内の鼓動や血液の流れや細胞の分裂を感じると
あくまで自分自身という存在は生物の1つに過ぎず
そこらへんにいるアリやクモやゴキブリと同じように
脆く儚く簡単に死んでしまうものなのだと。
このまま眠りについて目を覚ますことがないかもしれない。
世界が突然終わりを迎えて認識することなく死ぬ可能性もある。

人間だれしも自分が死ぬとき
恐らくここで死ぬとは思わないのではないのでしょうか。
僕は貧血で急に血の気がひいて徐々に意識を失った経験がありますが、
その後ふつうに目を覚ますか、そのまま一生を終えるか
結果は自身にも分からないことだと思います。
そして死んでしまったときに、今まで歩んできた人生の思い出
知識や考え方などは完全にこの世から消えてなくなります。
この世は自分以外の誰かによって絶えず回り続けておりますが
結局それを観測しているのも自分でしかなく
自身が死ぬことによって、このような思考すらもできなくなり
生まれる前の状態の完全に〝無〟
無という状態を認識すらできない状態
つまり現存する世界が存在しているのかどうかも分からなくなります。
これは非常に恐ろしいことだと思うのです。

生きていることの恐怖

生きているからこそ
このようなことに考えを働かせ
恐れを感じてしまうのだと思うのです。
地球が誕生して46億年
人類が定めた西暦が2000年近くまで経過し
今ここに至るまでに何も感じず何も知覚していなかったのに
生命を受けてたった2、30年を生きただけで
死にたくないという思いが非常に強く
できることなら永遠に世界を観測していたいとも思います。

これは生きてしまったからこその考えであり
生まれてこなければそもそも生きるだとか死ぬだとか
そんなことを考えずに済んでいたわけです。

そもそも、この一個人としての人格、パーソナル
地球には現在70億人ほどの人間がいて
全く同じ人間、全く同じ考えを持つ者はどこにもいません。
それは死んでいった人も含めてそう言えることでしょう。
絶えず人は生まれては死ぬを繰り返しており、
それでもなお個人の主観はその人にしかありません。
代わりがいないのです。
ゆえに自分自身はここにある存在のみ
それは他の誰にでも言えることで
そう考えた時にたまらなく死ぬことが怖くなり
生きているという状態でさえ恐ろしく感じてしまいます。

世界の終わり

たまらなく恐ろしいのは、この世界は永遠ではないことです。
今でこそ地球は生物が住むに最も適した環境となっており
太陽系の均衡によって人間以外の生物も生きていけます。
しかしこれは永遠に続くのでしょうか?

宇宙はビッグバンから始まって広がっていき
今の状態になったと言われておりますが
ではそれ以前はどうなっていたのでしょうか。
〝 空間〟は存在していたのでしょうか。
そしてその世界にもいずれ終わりがくるのではないのでしょうか

爆発によって伸び切った宇宙空間は、伸縮して
次第に縮んでいき、最後はまた無に戻るのではないでしょうか。
地球という惑星もいずれ朽ち果てる時がきますし
太陽もいずれ寿命を迎えて爆発すると言われております。
どれだけ科学が進んだとしても恐らく地球という環境を失えば
私たちが知り得る生物は絶滅してしまうでしょう。
ワープだとかそういうのは有りえないって昔トリビアの泉で見ました。

地球の消滅、いや宇宙の消滅にかかる年数は計り知れないとは思いますが
まず今現在に至るまでの宇宙の歴史を考えた時、
計り知れない時が経過しているのです。
1分1秒と着実に時間は進み、その時はいずれやってきますし、
必ず訪れることでしょう。
これらはどうすることもできませんし
そもそも宇宙という箱自体がどういう構造なのか
どういう仕組みで存在しているのかも判明しておりません。
もしかしたら宇宙の外側には超巨大な人間みたいな生き物が生活していて
なにかの化学反応の一部が宇宙の始まりから終わりまでなのかもしれなく
それは超巨大な宇宙の外側の人間みたいな生き物たちにとって
1秒にも満たない時間の経過なのかもしれません。

自分が認知していなくても世界は時間をかけて終わりへと迎い
いずれ朽ちていき、いずれ無に戻る。
莫大な時間かもしれませんが
莫大な時間をかけて今日までやってきたわけですから
生まれた瞬間に西暦が2000年近く経過していた時のように
自分が死んだら一瞬で世界は終わりまで迎えてしまうのだと思います。
それは休日に12時間爆睡していた時のようにまるで一瞬です。
最終的にこの世が存在していることが恐ろしく
それが無くなってしまうことも、もっと恐ろしいです。

何が言いたいのかというと
こわいですね。

生き方を考えさせられたのだけど

こうやって真剣に死ぬことについて
そして世界の終わりについて考えたときに
じゃあ生きている今、何をすればいいのかな
って思うのですが、それは人それぞれの価値観によりますよね。
ただ楽しく今を楽しんでいられれば良いという人もいれば
いずれ死ぬのなら何かこの世に残したいという人もいるでしょう。
なにが正解だとか答えだなんてものはどこになくて
自分が満足いくかどうか、死んだときに不満がないかどうか。

なかなか不満ゼロでやり切ったっていう人は稀有かもしれません。
世の中の誰もでもかれでも自分の思い描いた通りに生きていくなんてことはできるわけありませんし、挫折したことや別の道の選択のために何かを諦めたという人もいることでしょう。

歴史に名を遺すような大それたことを成し遂げられるのも
ほんの極僅かなひと握りの人間に限られています。
では一体どうやってこの世に生まれてきた意味を見出せば良いのか
と考えたところ、人は太古の昔から今日に至るまで命を繋いできています。
誰にでもできることとして、自分自身の遺伝子を残し
後世に残すことができます。
そうやって人間は何千、何万年と時を重ね
今日まで文明を築いて来ています。

しかし、こんな当たり前のような
動物でも本能的にできていることですが
昨今に至っては個の時代とやらと言われて
やたらと多様性を認めさせようとする動きがあるように思えます。
別に個人が輝くことは何も悪いことではないと思いますし
そんなことは当人の勝手だとは思いますが
少子化だとか出生率だとかは、
そういう時代の雰囲気からくるものなのかなとも思えます。

ともあれ、死んだら何も残らない〝〟になることと
9割9分の人間が歴史に名を残すことはできないことと
いずれ世界は消えてなくなること
これらをしっかり理解したうえで、
残された人生の時間をどう過ごすか
僕は改めて考えると思いきや
もともと意識高い系の人間ではなくてダラダラと過ごすことに
幸福を感じがちな性質の人間のため
気張って有意義で高尚な生き方をするでもなく
日々を過ごしております。

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