どうも、みなさまこんにちは。
今回は『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を含めた
エヴァンゲリオンシリーズについて語りたいです。
長らく公開延期を重ねて前作のエヴァQから
約9年の年月を経てようやく2021年3月8日に
劇場公開することが決定したシンエヴァですが、
9年前に映画館で観たエヴァQを
昨日のことのように思いつつ
早速公開初日にシンエヴァを観てきました。
エヴァンゲリオンシリーズの最後ということで、
注目の作品となっていますが、
観てきた感想を踏まえてエヴァとはなんだったのか
庵野監督はエヴァを通して一体何を伝えたかったのか
私なりの解釈を綴っていきたいと思います。
ネタバレ有りますのでご注意下さい。
それではどうぞ!
目次
エヴァンゲリオンとは
まずこのエヴァンゲリオンというシリーズですが、
初見の方が全容を把握するには制作に結構な
紆余曲折があったことを理解しなくてはなりません。
原作者は庵野秀明さんで、漫画や小説とかではなく
アニメが原作という稀有な作品です。
ざっくりなストーリーラインは
汎用人型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオンという
ロボットのような人造人間に乗り
地球に迫りくる使徒というものを
倒していくという物語です。
作品がこの世に生まれた時系列は、
以下の通りです。
テレビ版 → 旧劇場版 → 新劇場版 → シン・エヴァンゲリオン
テレビ版~旧劇場版で一括り。
新劇場版~シン・エヴァで一括りな感じです。
テレビ版
1995年10月4日から1996年3月27日にかけて
全26話がテレビ東京系列(TXN)で
夕方の時間帯で放送されていたようです。
僕はテレビ版に関しては全く世代ではなく、
恐らくエヴァがリアルタイムで放送していた時に
アンパンマンとか見てたと思います。
全てのエヴァの基となっているストーリーで、
テレビ版1話~26話で完結しています。
25話と26話は精神世界のようなシンジ君の禅問答が
延々と繰り返されて最終的には「おめでとう」と
何か吹っ切れたような感じになって
ハッピーエンド的な終わり方をします。
流石に今まで見てきた視聴者も意味が分からなくて、
人類補完計画とかどうなったの?
とか色々と視聴者から殺到したようで、
映画で最後の意味わからなかった部分やります
ってことで映画化されました。(旧劇場版)
旧劇場版
上述したように、
テレビ版で意味の分からない終わり方に対して
きちんとした映像で終わらす意を込めて制作されたのが、
1997年7月19日に全国東映・東急系で公開された
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』
( 英題:The End of Evangelion )
2007年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』発表以降、
「旧劇」「旧劇場版」とも呼ばれています。
この作品はシンジ君の心の葛藤だけだったTV版に対し
きちんとサードインパクトの様子とかが映像化され
シンジ君の心の葛藤とかもより明確に新しい映像を使って
表現をしている作品なのですが、
これまたさらに謎が謎を呼ぶ形となってしまったようで、
意味が分からないと思う人がほとんどのようです。
僕もサードインパクトが発動するシーンは
巨大な綾波レイがなんか色々やってて
正直意味が分からないのですが、
一応これは人間が個々の存在ではなくなり、
LCLという液体になって垣根がなくなり、
1つのものとして存在することが人類補完計画みたいです。
まぁ世界設定とかざっくりとしか説明できないのですが、
でもシンジ君の悩まんとしていることは理解できました。
高校生くらいの頃にDVDか何かでこの作品を見たんですけど、
シンジ君の悩めることがわりと僕も同じで、
いやたぶん全ての人間に当てはまることだとは思うんですけど、
まだ心が繊細だった僕にはめちゃくちゃ刺さるものがありました。
『Komm, susser Tod』という挿入歌が劇中で流れるのですが、
たぶん初めて聴いたはずなのに
どこか懐かしいような感覚に陥り
シンジ君のモノローグと共に没入感が凄まじかったです。
そしてシンジ君はなんやかんや他人は怖いけど
それでも自分以外の色々な考えを持った人間がいても
良いじゃんかって結論に至って
人類補完計画を阻止するのですが、
最後はシンジとアスカの2人だけのシーンで
なんとシンジ君はアスカの首を絞めて
アスカに「気持ち悪い」と言われて
映画は終わってしまいます。
この「気持ち悪い」に関してですが、
色々と諸説あるようで、
自分を殺そうと首を絞めてるシンジに
頬を撫でただけで手を緩めて泣き出した
ことに対してのものだという説だったり、
庵野監督がアスカ役の宮村優子さんに
「部屋に男が入り込んで、ベッドで寝ている君を
犯すのではなく君を見ておかずにしている。どう思うか?」
と質問した時の回答が「気持ち悪い」だったので
そのまま劇中に採用された等々色々あるみたいです。
新劇場版
庵野監督は何を思ったのか
また新たにエヴァを作り直すと言い
序・破・急の3部作構成で映画化を発表しました。
当初は急で終わる予定だったようですが、
急がQとなり、さらにシン・エヴァンゲリオンとして1つ加え
4部作となりました。
「エ」が旧字体で、
「オ」が「ヲ」になっています。
マリというエヴァパイロットが新たに出てきたり、
最初から海が赤かったり等
細かい部分の設定が変わっていて
実はこれ旧劇の続きの世界なんじゃね?
っていう考察もあるようですが、
真意は分かりません。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
( EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE. )
公開日:2007年9月1日
TV版エヴァの序盤あたりを完全に最新にした感じで、
アクションシーンとか戦闘機とか
そういうのが好きな人はめちゃくちゃ興奮するかもしれません。
大まかなストーリーはたぶん変わっていないので
TV版を見た人は大体わかるかもしれません。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
( EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE. )
公開日:2009年6月27日
TV版エヴァのアスカ登場から初号機覚醒までで、
これもTV版を見てれば大体認識OKな感じで、
ところどころ新劇場版の新しい設定とかあるようですが、
大まかなベースは同じだと思います。
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
( EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO. )
公開日:2012年11月17日
ここから真新しいストーリーとなり、
なぜか不評な意見が多いようです。
僕は完全に知らない新しいストーリーが始まって
めちゃくちゃ興奮しましたが、
エヴァファンは従来のストーリーを
綺麗になぞってほしいのかもしれません。
よく分からない新設定だらけで
行動原理もよく分からず
なぜシンジ君は迫害されるような扱いを受け、
そしてミサトさんは「行きなさい」とか言いつつ
14年後に目覚めたらめっちゃキレてるのか…
等々と色々と不快に感じるシーンも多いみたいです。
僕は目が覚めたら見たこともない真新しい世界が広がっていたら
ワクワクしてしまう性質の人間なのかもしれません。
というか、このよく分からないものを突き付けてきて
色々と考えさせてくるエヴァンゲリオンが僕は好きですね。
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
Q公開当時2ちゃんねるとかで連日連夜スレが立ち続け
様々な考察がされていたのを眺めていて、
Qで世界線が変わってしまったみたいな考察もあり
そういう色々な可能性に
考えを巡らすのが面白かったのですが、
今作のシンエヴァの物語は、
新劇場版からしっかりと続いていたものでありました。
Qでは語られなかった部分が今作で明らかになり
ネルフを打倒するものだけでなく
その世界で生活する者たちが存在し、
物語は確かにしっかりと着実に途切れることなく、
新劇場版という1つの大きな枠組みの中の1作で、
それは序破Qシンの個々が線で結ぶことが出来るのです。
救い
前作のQではシンジ君だけの視点で物語が進み、
ニアサードインパクトを起こし世界がほぼ崩壊しかけ
色々な人から恐れられ非難されていました。
槍でやり直せるとそそのかされ、
それもまた世界を崩壊させるフォースインパクトの引き金で、
踏んだり蹴ったりなシンジ君でしたが、
生き残った人類が住む村で生活をしていくことになります。
シンジ君はずっと塞ぎ込んでいましたが、
Qと違って優しくされます。
それでも応えないシンジ君ですが、
徐々に徐々に心の壁を取り除いて、
人と話すようになり、
何かをしようとするようになります。
それは周りの人間たちによる影響が与えるものであり、
アスカや綾波が、各々の接し方で
シンジ君と対話をしようとしていました。
ただ否定されるだけじゃない世界で、
自身を肯定してくれる人たちがいて、
他者を受け入れることができるように。
そしてミサトさんともわだかまりも今作で解消されます。
破の最後でシンジ君が行ってなかったら世界は滅んでいました。
それでもニアサードインパクトは引き起こされ、
世界の大部分が崩壊し、多くの尊い命が犠牲となります。
シンジ君の保護監督責任として
これ以上彼には危険な目には遭ってほしくないという思いから
エヴァに乗らないでと強い言い方をしていたようですが
流石にツンデレが過ぎますね。
でもこのシーンは一番グッときました。
あの頃のミサトさんが帰ってきたって感じで。
人を想い、人に想われシンジ君は
Qの悪夢から救われ、彼は強くなりました。
本当によかったです。
伝えたいことは旧劇から変わっていない
結局このエヴァンゲリオンという作品は何が伝えたいのか
シン・エヴァを見て思うことはやっぱり一つで、
人がいたっていいじゃないかってことですね。
他人に何かを思われたり感じたりされることは怖い
人を信用すれば裏切られることもある。
人から嫌な気分にされるときもある。
自分が誰かに対してそういう気持ちにさせてしまうこともある。
でもそれでも良いじゃない。
色々な人がいて 好きなもの 好きな人 好きなこと
人の数だけ個性は存在して人生は存在する。
TV版から、旧劇場版から、伝えたいことは
なにひとつ変わってないのだと
今回のシン・エヴァンゲリオン劇場版を観て思いました。
明確にしすぎてるのもどうかと思う
今作を見てて思ったのが、
明確に説明しすぎじゃね?ってことです。
なんかエヴァってもっと
視聴者を置いてけぼりにして
勝手に意味の分からない領域までずかずか進んで
右も左も分からない状況から考察を紐解いていくのが
エヴァの魅力のひとつだとも僕は思うのですよね。
今作は
TV版、旧劇場版で足りてなかった説明を
すんごい丁寧に説明しているような描写が多い気がして
裏を返せばもうこれで本当におしまいなんだな
って思いもすごく伝わってきた印象です。
そのせいなのか心なしかなんだかテンポが悪いような
演出面でもっと芸術的な表現するのがエヴァだったような
って感じのイマイチな印象が強いです。
旧劇場版の意味分からないけど意志や意図は伝わってくる
そんな芸術家と聴衆のギリギリの攻防が
もっと僕は欲しかったなぁと。
庵野さん自身もいつまでも全盛期ではないことは
重々分かっていますが、
今作はちょっと説明チックな面が多いかなと思いました。
あと巨大綾波はセル画に限りますね。
カップリング雑じゃね?
これはカップリング厨を撲殺するために
あえてこういう衒ったことをしたのでしょうか。
アスカが「ケンケン」とか言ってるところから
なんか嫌な予感はしていましたけども、
これもまごうことなき”現実”なのでしょうかね。
まぁ別に僕は作品の中のキャラクターの
誰と誰がくっつくとかどうでも良いのですけども
ちなみにマリは学生っぽい風貌をしていますが、
それはエヴァの呪縛のせいであって
実年齢はゲンドウと同じくらいらしいです。
ここに関して感じることは、
現実世界で考えてみると、
まぁ納得って感じな気はします。
中学・高校時代であの人とあの人はお似合いだなぁ
とか良い感じのカップリングって
あったと思うんですけど、
実際の現実はその先の人生で出会った人間で、
恋仲に発展したりして結婚することが殆どで
現実のそんな部分をこの作品で突き付けてきたのかなぁと。
総評
地獄の門とか黒い月とかアナザーインパクトとか、
マイナス宇宙とかエヴァインフィニティとかガイウスの槍とか
ヴンダーが飛んでる場所とかネルフ本部の場所とか
なんか色々とよく分からないことは山ほどあるんですけど
とりあえず最終的に庵野さんが言いたいことって
現実を見ろよってことなんだと僕は思っています。
僕がエヴァに出会ったのは2007年、2008年くらいの
ニコニコ動画全盛期に色々なMADがあがってる時代で
エヴァMADとかも見てエヴァに興味を持ったりしたんですけど、
そこからもう2021年に時が及んでいることに驚きを隠せません。
最後のシーンは結局エヴァって作品上の続きではなくて、
現実世界をそのまま映し出して
大人になったシンジ達での締めなのでしょうね。
その証拠になんか撮影スタジオの
舞台裏みたいなところが出てきたり
今までのエヴァのタイトルが出てきたり、
メタっぽい演出がやはり今作でも出てきちゃいましたね。
エヴァンゲリオンという作品は、
TV版から伝えたいことは何も変わることなく、
碇シンジという臆病な少年
そして碇ゲンドウという臆病な大人
その他色々な悩みを抱えて生きている
キャラクター達を通じて伝えたかったことは
ブラウン管の前のみんなも
コンプレックス背負ってても一歩踏み出して
限りのある生命を全うしよう
ってことな気がします。
今も昔も僕にはこの作品を
そうとしか捉えられませんね。
さようなら、すべてのエヴァンゲリオン