どうも、みなさまこんばんは
今回は近年(2020年前後)のBUMP OF CHICKENの
楽曲についてです。
最近出た曲々の優しさが凄まじくて、
藤原基央さんは人間としてとんでもない境地に
到達してしまっているのではと僕は思うのです。
そんな溢れんばかりの思いの丈をどこかに吐き出したく
本稿を執筆しております。
それではどうぞ!
目次
近年のBUMP OF CHICKEN
ここ最近のBUMP OF CHICKENは、
ボーカルの藤原基央さんが結婚をしたり、
ベースの直井由文さんが不倫をしたり、
色々とてんやわんやしていました。
それでも安定して何かとタイアップがあり、
朝ドラの楽曲にBUMPの『なないろ』が使われたり
まだまだ現役、いや最高値を更新中な具合です。
藤原基央、結婚する
2020年8月24日に藤原基央さんが結婚を発表をしました。
以下の画像は公式Twitterに掲載された画像になります。
藤原さんと近しく支え合えって生きていける存在は
ぶっちゃけorbital periodというアルバムに
収録されている曲々の歌詞をのぞいてみると
明らかにロストマン以降から大切にすべき誰かと
出会っていることが見てとれる気がするんですよね。
僕の憶測でしかありませんが、
BUMPの歌詞を自分のことのように感じてしまう勢として
これはほぼ確信に近いと思います。
そこからお相手は変わっていないのではないかと思います。
もし破局とかしてたらロストマンみたいな曲が
また出来上がってしまいますし、
orbital period以降は常に前向きな曲しか無く、
2010年のRAYの頃には「生きるのは最高だ」と言わしめてます。
この報道が出てすぐくらいに
BUMPにわか勢が『新世界』に着目して
「これが伏線だったんですね!!」と意気揚々と
なんか色々と知ったような顔で言ってましたが、
うーんBUMPの描くラブソングって過去にも沢山出てるし
確かにこれはテイスト違うけど結婚したからどうとか
そういう話と全く相関が無いと思います。
恋愛感情の表現の仕方って
もっと人それぞれ色々あると思うもので、
直近でも『Gravity』って曲はラブソング中のラブソングだし
過去にも『arrows』、『66号線』、『流星群』などなどと
大切な人へ向けた曲はいくらでも出ているんです。
何はともあれですが、
あんなに尖っていて繊細で
誰よりも〝寂しさ〟を曲に込めて享受し続けて
誰よりも〝優しさ〟を与え続けてきた
あの藤原基央さんが結婚したということは
ずっと楽曲を聴いてきたファンからすれば
非常にとても大変よろこばしいことです。
もっともっと人間的な幸福を得て、
私たちに普遍的な共感を届けてほしいですね。
直井由文、不倫する
藤原基央さんの結婚報道が出て、
数日が経った頃にBUMPのメンバーのベース担当
直井由文さんが不倫しているという報道が出てきました。
告発者は直井さんに弄ばれた女性らしく、
LINEでやり取りした画像とかがリークされています。
不倫?既婚者に手出したの?
ってところなのですが、
なんと直井さんが実はとっくに結婚していて
そこらへんの未婚の女性に手出していたとかいう
そんな感じの顛末のようです。
正直ぶっちゃけ完全に僕個人の意見ですけど、
BUMPの楽曲の純度って90%以上が藤原基央によるもので
楽器を担当している人間が不倫してしまったので
BUMPの楽曲の詞が薄っぺらくなるとか
そんな謂れは有り得ないんですよね。
悲しいことにもワンマンバンドだと思いますし、
BUMP自身も仲良し幼馴染4人組バンドみたいな
コンセプトでここ最近は売り込んでいて
正直それ要る?って僕は思ってしまっていたのですけど
別にメンバーが嫌いとかそういうわけじゃないけど
曲が生まれてくる根源は藤原基央の表現力あってなので
藤くんが不倫したとかってんなら「ほげえええええ」
ってなって今までどうやってそんな歌詞を書いてきたんだよ
って逆にびっくりしたりすると思います。
でもそれはあくまでリスナー目線での意見でしかなく
BUMP OF CHICKENというバンドを結成したドラマや
彼らの人間関係などは彼らにしか分からないことです。
どんな思いがあって日夜音楽活動をして
地上波にほぼ出ずに現在の地位までたどり着くほどに
世間から評価を得てファンが根強く存在しているのか
リスナーには分からない世界は当然あって
藤原基央さんと直井由文さんの人間関係、
それぞれのバンドメンバーとの人間関係、
表舞台とは違うリアルな部分は正直なにも分からない以上は
彼らの問題であってどれだけ大切な存在なのかも
彼らが思う気持ちの問題なだけだと思います。
人間性が唯一わかるものがあるとするのならば、
それは藤原基央さんが紡ぐ言葉と旋律の音楽だけです。
というわけでこの件に関しては
本当に興味がありませんでした。
ちなみに直井さんが謹慎を経て
出した声明文が以下です。
タイアップ、続々
- 記念撮影 / 日清カップヌードル『HUNGRY DAYS アオハルかよ。』CMソング
- シリウス / テレビアニメ『重神機パンドーラ』OPテーマ
- Spica / テレビアニメ『重神機パンドーラ』EDテーマ
- 望遠のマーチ / スマホ向けゲーム『妖怪ウォッチ ワールド』CMソング
- 話がしたいよ / 映画『億男』主題歌
- 月虹 / テレビアニメ『からくりサーカス』OP・EDテーマ
- 新世界 / ロッテ創業70周年記念スペシャルアニメーション
- ロストマン / サッポロビール『第95回箱根駅伝 箱根駅伝その先へ』CMソング
- Aurora / TBS系ドラマ『グッドワイフ』主題歌
- 流れ星の正体 / 「じゃらん」30周年特別記念フィルム「ここではないどこかで」主題歌
- 天体観測 / テレビ東京系『有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?』8月度勝手にEDテーマ(第77話 – 第78話)
- Gravity / 東宝配給アニメ映画『思い、思われ、ふり、ふられ』主題歌
- アカシア / Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」
- なないろ / NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』主題歌
ここ2、3年だけのタイアップでもこれだけあるのですが
いやめちゃくちゃすごいと思います。
地上波への露出がほぼゼロなんですよBUMPって。
本当に楽曲だけで評価を受けてのし上がってきて
各所からオファーを受けているってことなんです。
近年まれに見る神曲たち
私がつい最近やたらとリピートが止まらない
且つめちゃくちゃ泣けて切なくて
それでいてとても優しさに満ち溢れた楽曲たちの紹介です。
昔のBUMPは良かったとか言ってる場合じゃないです。
今まさにこの時代に神曲が創造されているんですよね。
本当に歌詞がすごい。
記念撮影
https://youtu.be/FPLxRe4ho_A
こちらの曲は別記事でたくさん語っています。
ひとことで言うならば神です。
どうも、みなさんこんにちは。今回はBUMP OF CHICKENの『記念撮影』という曲について語っていきます。 この曲は2017年7月5日にデジタルリリースでiTunesなどで配信されたシングル曲です。2017年11月時点で音楽配信[…]
話がしたいよ
https://youtu.be/G6s8HF1WsJY
この曲はここ最近の曲では最強にエモいです。
藤原基央の天才ぶりが最高潮に発揮されていると思います。
MVは仲良し幼馴染バンドを全面的に押し売りだしていて
曲の良さと映像はあまり相関が無いのは常なんですが
目を瞑って頂いて歌詞に注目してほしい曲ですね。
BUMPの曲は特定の”何か”に当てはめず
聴いている自分自身が経験してきた事を
各々で当てはめられるのが良いところで
例えばそれは恋人とのことであったり、
大切な家族だったり、ペットだったり、
様々なものごと、シチュエーションに合わせて
聴ける曲が多く非常に共感性が高いのです。
この『話がしたいよ』という曲もそれに漏れず
自身の思う大切だと思っていたもの
大切だったものを思い浮かべて聴いて欲しいです。
歌詞の情景がドンピシャすぎて切なすぎるんですよね。
抗いようもなく忘れながら生きているよ
ねぇ一体どんな言葉に僕ら出会っていたんだろう
鼻で愛想笑 綺麗事 夏の終わる匂い
まだ覚えているよ
話がしたいよ
なんかここまで人の何気ない所作とかを
誰もがやっているであろう些細なことを
歌詞にして曲に乗せて表現できるって
凄まじくないですか?
もしかしたら存在したであろう未来のこと、
まだ見ぬ会話を紡ぐことができた可能性、
それがもし続いていたとしても、
結局は当たり障りのない日常の延長で、
それでもいなくなってしまえば会いたくなる。
普通に暮らす今の日々で思い出すことなんてのは
ほとんどないのですけど
切なすぎますね。
ここ最近のBUMPの表現手法によく見られる
さりげない物事や事象を羅列する詞がよく見られて
これって生きているからこそ感じることで、
気に留まるから気が付いてしまうことで、
“鼻で愛想笑 綺麗事 夏の終わる匂い”
の部分とかがそれに該当します。
Flareって曲にもこの手法がよく出てきいて
無視できるほどの大したことことではないのだけれど
その事象は何か理由があって起こるもので
誰にでも当てはまるような情景とかが
言葉から想像を掻き立てさせるのが本当に天才
って思います。
さらっと埋もれてしまっているような曲なのですが、
21世紀に残したい曲のひとつですこれは。
Gravity
https://youtu.be/sMi91M_Xl28
この曲は聴くだけで涙が出ます。
誰かを大切に思う気持ちを歌った曲だと思います。
藤原基央さんが結婚発表後に出した曲でもあって、
友人とか家族とかそういうものでも連想できますが
やっぱりどうしても恋愛ソングにしか聞こえてきませんね。
僕がただの恋愛妄想厨なだけなのかもしれませんが。
この曲の中に込められた優しさがとにかく凄まじく
藤原基央さんがとにかく人格者であることと
誰かを大切に思う気持ちが人一倍強いことと
それを言葉と音楽にして表現することができる天才である
ということだけが分かります。
今日が明日 昨日になって 誰かが忘れたって
今君がここにいる事を 僕は忘れないから
詞を見てみると、
いつか朽ち果ててしまう有限の時の中を
人間は生きているのだけれど
〝今〟というかけがえのない時間を
どれだけ大切にしようと、
いずれその時は必ず誰にでも平等に訪れることで
この世に永遠は無いんだけれども
僕はあなたのことを死ぬまで決して忘れないし
死んでも忘れませんよ
ってことが伝わってきます。
そしてもしも物理的に離れ離れになってしまったら、
もし私が先立つことがあったのだとしたら、
また明日の中に 君がいますように
っていう祈りのような曲です。
僕からしたらそんなに誰かを大切に思える存在が
居ることがとても羨ましいことですね。
あいにく僕にはそう思えるような
心の底から深く分かり合える大切な存在には
未だ出会っていない哀しき人生ですが、
それでもこの曲の言わんとしていることは
綺麗事だとか良い人に想われようだとか
そんなアピールじゃなくて本気で分かってしまいます。
Flare
https://youtu.be/pDFkg9L5wJY
こちらの曲は、
Flareをポルトガル語で翻訳すると、、、
「CHAMA」になるらしく
それを知った途端に「あーそっち系か」
って思って発表したばかりの頃は
あまり真剣に曲を聴かなかったんですけど
YouTubeで暇だからなんとなしに聴いてたら
それでもやっぱめちゃくちゃ良い曲だなって思って
案の定どっぷりとこの曲の良さにはまってしまいました。
噂では去年の夏頃から製作していた
とかいう話もあります。
何よりも奥さんであれ友人であれ、
藤原基央の誰かを大切に思う気持ちの強さってのが
この曲を聴いて本気で凄いなって思わされてしまって
直井さんに向けた曲だとしても
そうではない世界の誰かに向けた曲だとしても
曲が放つエネルギーってのは変わりませんね。
どれほど弱くても 燃え続ける小さな灯火
僕らの人生ってガチでほとんどの人間が
狭いコミュニティの中だけで完結していて
世の中のほとんどの人間から認知されずに
終わっていくのが運命だと思います。
でもそれでも汗水たらしてお金を稼いで
生きるために生活をして日々を繋いでいます。
スポットライトの当たらない人生で、
後世に何か残せるわけでもない人生で、
それでも生きようと今日も息をして飯食って寝るわけです。
そんなミジンコみたいな僕らのための曲
それがこの『Flare』です
この曲で度々出てくる「騒めき」というワードがあり、
なにを示唆しているのだろうと考えていたら
自分の内側に起こり得る騒めきと、
外から受ける騒めきの二種類があるなぁと思って
それらにカテゴライズして歌詞を分解してみました。
【内的要因】
- 目を覚ます孤独の騒めき
- 黙ったまま叫んだ騒めき
- 誰も知らない命の騒めき
- 燃え続ける小さな灯火
- 感じる痛み
- 壊れた心
- 息をしたがる体
【外的要因】
- 青に変わった信号
- 跳ねて音立てたコイン
- 拾われず転がるコイン
- 全部塗り潰す朝
- 溜め息
- 瞬き
- 廻る車輪
- オーケストラ
- あなたのための月
これらを踏まえたうえで考えられたことは、
心の内側に幾つもの騒めきが宿って
自分の体に何らかの反応や行動が起きていて、
それと同じ様に自分以外の人間にも
それらは成り得ている事で世界中の人間が
絶えず動き続け外的要因となる騒めきが生まれている、
謂わば壁や鏡のように個々人の灯火が
反響しあって世界は成り立っている
ってことを伝えたいような意図が汲み取れました。
もし今日死んだって1週間もすれば
誰の記憶にも残らないような僕の命でも
孤独に誰よりも怯えて感じて生きてきた
孤独の王・藤原基央が言うからこそ
この曲には力があって説得力があって
そして勇気が貰えるわけです。
藤くんの歌う曲は昔から
有限であることを示唆していることが多く、
それは人生がいつか必ず終わること。
そして人類も地球もいずれ滅びること。
この世に永遠なんてものはないという事実を享受しつつ
それでもかけがえのない〝今〟を生きようと
歩み寄ってくれているようです。
それがたとえ痛みの伴うことだとしても
生きているから痛みを感じるし涙も流れるんだと。
夜、道を歩いていて
草むらから虫の声が聴こえたり
空の遠くから赤い閃光を放つ飛行機が飛んでいたり
この世に生まれたから感じることがでるし、
同じように自分以外の生命が、心が、行動が
そこにあるからそれらは存在しています。
優しさってなんだろうか
こうもBUMPの楽曲を聴くたびに
何かをハッとさせられては
人間が持つ心の様相、
それは優しさだったり
悲しみだったり怒りだったり憎しみだったり
色々と色々な人間と接していく上で
日々感じています。
人はいかにようにして優しさを醸し出して
優しさを外から与えられているのか。
僕がBUMPの上記で紹介したような
優しさで満ち溢れているような楽曲や、
最近だとフルーツバスケットという作品に触れて
あらためて優しさってなんだろなって
考えることが増えていました。
優しいと感じる感情は人それぞれ違っていて
受け取る側がどう思うかでしかないと思っています。
御座なりの優しさに「わざとらしい偽善」って
思う人間もいれば、それに喜ぶ人もいるし、
他の人からはなんとも思わないような行動に
「この人がここでそんなことするんだ」って
その人のベースを知った上で
優しさを感じることもあることでしょう。
与える側にも色々な形があると思います。
そもそも色々な性格・気質の人間いるわけで
一概に言えることではないですね。
その人なりの優しさってものがあって、
育ってきた家庭環境にも起因してくると思います。
人は優しさを持って生まれてこなくて
生まれながらに持っているのは食欲や物欲、
そういう生きる本能に起因する欲だけです。
優しさは体が成長するのと同じで
自分の中で育てていく心
だから人によって優しさの形は違うんだと
そして後天的な要素であるということが
フルーツバスケットでも語られいます。
そして優しさの影についてくるものって
寂しさだと思います。
この感情があるから人は誰かに優しくできるし
この感情を持ち合わせていないと
偽善的な世間体だけを成した優しさにしか
なれないのではないかとさえ思ってます。
寂しい人間の気持ちに寄り添えるのって
その寂しさを知っている人なんじゃないですかね。
可哀想だとか惨めだからだとか
そういう同情に近い感情じゃなくて、
人間誰しもが自分の弱さに立ち向かって
日々を踏ん張って生きてると思うのです。
自分以外の誰かと関わって楽しい思いをしたり
傷付いてつらい思いをしたりして
自身の良心を育み、また誰かに本当の意味で
優しくできるように自然となっていくのではと
思う今日この頃です。
僕は基本的に極悪人みたいな性格なんですが、
稀に優しいと思われてしまうこともあります。
ギャップ差でより顕著にそんな風に
感じてしまっているのかもしれませんが
でもそういう時に自身がとってた行動は大体
その人のために何かを教えたり考えたり共有したり
何かの力になれればなって時に多い気がします。
一人で生きていても楽しくなくて、でも
死んでも気が付かれないような小さな命だけど、
誰かの何かのためになれたなら
それはそれで喜ばしいことです。
真っ当に生きてる人間が
困っていたり寂しい思いをしていたりすると
手を差し伸べたくなりますし
僕の元を離れていって別の場所で
楽しく過ごせていられるようになれたなら
それはそれで喜ばしいことです。
良い心を肥やしていきたいですね。