『すずめの戸締まり』はエンターテイメントなのか


どうも、みなさまこんばんは。
今回は新海誠監督作品の最新作『すずめの戸締まり』について
観てきた感想を書き綴っていこうと思います。

2022年11月11日(金)公開でしたが公開日に観て参りました。
映画館は空席を除けばほぼ満席でした。(←)
つい最近『君の名は。』のIMAX上映も同じ映画館で観たのですが
その時は全然人が居なくて近いうち潰れるんじゃないか心配でしたが
『すずめの戸締まり』公開初日は夜でもたくさんの人で溢れてました。

新海誠監督の過去作品に関しては関連記事を書いているので
よければご覧ください。

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本稿に関しては内容を知っていることが前提で
観てきた感想を書き綴っているため
以下、壮大なネタバレになると思いますのでご注意下さい。

それではどうぞ!

©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

全体を通して

九州から始まるロードムービー

物語の導入としては、
かつては人で賑わっていた寂れた土地、
廃墟とかの場所になんか残留思念みたいなのがあるから
それを閉じて日本を廻る「閉じ師」という仕事している
超絶イケメン大学生・宗像草太さん

そして九州でちょっと過保護な叔母と共に暮らす
もはや新海作品に欠かせないメイン属性「女子高生」
超絶フィジカルJK・岩戸鈴芽さん

この二人を軸にして、
九州にある廃墟の封印を鈴芽が解いてしまったことを皮切りに
草太さんの閉じ師の仕事を手伝いつつ
封印の要石となるダイジンという猫を追っかけるロードムービーが
展開されていくのが前半パートの主な構成となっていました。
その土地に住む人々と出会い、思いを受け止めて
開いた扉の戸締まりをしていきます。

おおまかなテーマとしてはすごく好きですし、
私自身、知らない土地を歩くとワクワクしちゃう性質なので
旅をしながらその土地の人と交流して物語が進んでいく作品は好きです。
文化とか歴史とか方言とか人柄とか、
その土地の人が忘れてしまっていも
物や人や言葉にルーツは宿って残りますからね。

なによりやっぱり新海さんの作品は絵が美麗なので、
日本各所の色々な美しい景色が映えますね。

ファンタジーに寄せすぎるが故に

封印の要石であったダイジンが
各所の封印を解きながら廻っているのかは
ちょっと作中からだと私は読み取れなかったんですけど、
たぶんダイジンの仕業なんですかねこれ?
そんでもってダイジンは草太さんに
お前に役割を移した的なことを言って
鈴芽が幼い頃に母親に作ってもらった子供用の椅子に、
なぜか魂を注入されてしまい肉体が消え、
椅子で生きていくことになります。

ここらへんのポップなネコとかキャッチ―な椅子とかで
商業的な何かマスコットのようなものが作品に必要だったのかもしれませんが
正直ぶっちゃけこの要素は無くても良かったかなぁって思います。
なんか鈴芽と草太さんの会話とか距離の縮まり方とか
表情ひとつとっても目に見えてこないし、
そもそも草太さんってどんな人柄なのかも
なんかあまり見えてこなくて、
鈴芽が「草太さんのいない世界が私は怖いです」と言うシーンも
そこまで思いが募る描写やイベントあったかな・・・
と、あまりグッとくるシーンには映らなかったんですよね。
実際一緒にいたのは2、3日くらいですし。

過去作の『君の名は。』では入れ替わりが起きて
お互いの人間関係をよく理解しながら立ち回る必要性があり、
且つ意見交換なども互いのスマホの日記に残して
徐々にお互いを好きになったってのは理解できるし、
いざ会いに行こうと思ったら覚えてなかったり、
物理的にもう存在していなかったりで会うことができず、
そんでもってかたわれ時の最後の入れ替わりで、
やっとお互いがお互いを最新状態で目の前に認識できて、
ついに瀧くんと三葉が会えたっていうカタルシスには
何度見ても涙が止まらないんですけど、
今作の鈴芽と草太さんはさすがになんか
こじ付け感というか強引さが見えてしまったかな。

前半にダイジンという存在が無く、
ただ解かれた封印の要石を探す旅を二人がしていれば
なんかもっと二人の関係値ってのがリアルに見えて
たとえそれがダイジェスト的なものだったとしても
「あーお互い好きになってんねぇ」ってのが
にちゃにちゃしながら見えたのではないのかなと。
まぁ…顔だけで落ちる恋ってのも全然存在し得ると思いますし
それを否定するつもりもありませんが、
感情を読み解く材料が足りなくて共感しづらかったです。

やりたいことの三つ巴状態が透けて見える

前半パートは後半へ向けての種蒔きだとして、
草太さんが生贄となって東京での大災害を未然に防ぐことができ、
後半パートへ進んでいくのですが

この作品のやりたかったことって
大まかに3つあるのだと思うのですが、

  • 草太さん好き・助ける
  • 要石の封印をもとに戻す
  • 自分の過去と向き合う

なんですよね。
で、これを後半パートにすべてぶち込んで
全部解決しようとしているから
1つ1つの焦点がブレてしまっているというか、
薄味になってしまっているというか、
どれも物語を盛り上げる要素としては良いテーマですけど、
欲張ってしまったが故に1つ1つの要素の密度深度
物足りない気がしました。

また前作の『君の名は。』を例にしちゃいますけど、
(君の名は好きすぎてすみません)
これも

  • 入れ替わり(夢)
  • 時間のズレ
  • 天災
  • 恋愛

この4つの要素が同時に進行しているんですけど、
この作品に関してはブレることなく
各要素が互いにシナジーとなって
うまく噛み合って物語が進んでいってます。
お互い入れ替わりイベントによって干渉できる存在で、
困難を乗り切るうちに互いに心が惹かれていき、
けど生きている時間軸がズレていて、
天災によって片方は既に命を落としていた。
瀧くんは命を落とす前の三葉の時間軸に干渉することができていたので
最後の口噛み酒の力で再び入れ替わりという異能力を駆使し
三葉を助けるために天災から町を救おうとする。
結果的に彗星の片割れとなった隕石を食い止めて、
町を無傷にするなんてこはできませんが、
瀧くんが繋いでくれた思いを三葉が受け継ぎ、
三葉とそのまわりで暮らす人々を救うことができ、
記憶は薄れて何のことだったのか曖昧な状態となるけど
いつかまた出会える僅かな可能性をぶら下げて生きていたら
二人は思いがけない再会を果たすという
こんな緻密繊細素晴らしい作品ありますか!?
いや、もう各要素が自然に糧となって引き金となって、
シナジー生んで上手く作用していって切なさも愛しさも、
そんな気持ちが見ている観客にまで届いてくるんですよね。

なんか泣き叫んで感動的なBGM流せばだれだって感動するし
作品もそりゃヒットしますわみたいな意見を見るんですど
そんな単純な浅い部分で客の心を掴んでいるとは思わないです。

思いが強すぎて『君の名は。』の感想みたいになっちゃいましたけど、
今作の『すずめの戸締まり』は無理して要素をぶち込んでる感があって
その要素も1つ1つが独立していて噛み合っていない気がします。
どれか1つに焦点を絞ってじっくり深く繊細に緻密に叙述的な展開を
見てみたかったなぁと思いました。
このイベントAを達成させるためには、このイベントBが必須だ
みたいなのが今作に無いんですよね。
後で個別に処理しても問題ないよねっていう。
理解度が足りてなかったらすみません。

草太が一時的に生贄になった意味もよく分からなくて
始めからダイジンが要石の役割に戻れば良いのでは…(?)
あとやっぱダイジンっていう存在が
話をごちゃごちゃに搔き乱してて
要石の部分の設定が雰囲気でしか伝わってきません。
見てて「そ、そうなんだ(…?)」てなりました。

ただ、後半パートの芹澤朋也に関しては
めちゃくちゃ良い味出してて
純粋に彼が絡んでくるシーンは楽しくて面白くて
今までの作品にはなかった良い要素でした。
(神木くんの演技力はガチだと確信しました)

「ジブリ感」から「ジブリ」へ

アニメ映画を手掛ける監督はみんな
宮崎駿に憧れてしまうのか分かりませんが
ジブリだなぁ~って思ってしまう部分ってあるんですよね。
新海誠監督の作品では『星を追う子ども』とかあからさまで、
あと『天気の子』も少しそれっぽさを感じた気がしました。

私もジブリ作品大好きですし見ていて楽しいし、
考えさせられるような作品も多くあります。
ただ、別にジブリが見たくて新海誠作品を見ているわけではありません。
新海さんには新海さんの良さがあって、
なんかそこまで寄せる?って箇所がちょっとうーんって
感じになってしまいます。
今作で言うとやっぱダイジンなんですけど(またお前か)
予告を初めて見た時から「あーそっち行ったか」って思って、
実際に作品を見ても『千と千尋の神隠し』オマージュみたいな、
具体的なシーンで言うとダイジンのことを鈴芽が「嫌い」て言って、
なんかダイジンがしぼんでしまうんですが、
そのまま憎しみ溢れてもっと災いを起こすのかと思いきや、
湯婆婆ののようなムーヴをかましてきて一緒に旅をするという。
「ん?なんで?」ってのがずーっとまとわり付いてて
そんで急に『ルージュの伝言』が流れてきたときには
!?!??!?
って混乱して、「ついに堂々と来たか・・・」
と思ったらカーステレオかーーい!っていうギャグかまされて、
でもカーステレオだとしても芹澤のセリフ的に
魔女の宅急便』めっちゃ意識しているんだろうし
そこはそこでちょっと面白かったんですけど
あとから左大臣とかいうでかい猫も来て、
いやキミ、封印は放っておいて良いの???
って思いながら頭の中にたくさんの「」を抱えながら
見ていました。

その監督の作家性というか演出手法というか
良さや味はそれぞれあると思うし、
ジブリがアニメ作品の絶対正義だなんて思ってませんし、
無理して寄せていかなくて良いのになと思います。

これはエンターテイメントなのか

物語の終盤で明らかになる鈴芽の過去ですが、
幼少期に書いていた絵日記が3月11日と書かれた日から、
真っ黒に塗りつぶされて
この災害を境に子供にとって絶対的な存在である
親を亡くし、当たり前にあった幸せから遠ざけられ
生きていくことを強いられていました。
そのことも、それを経験した人にとって
それ以外の人生が存在しないわけですから、
「当たり前」なのであると思います。

私は実際の東日本大震災の被災者でもないし、
災害や事故や事件によって
大切なものを失ったとかって経験もありません。
当時は実家の埼玉に住んでいて非常に強い地震に
家が崩れるんじゃないかとさえ思う程で
テレビのニュースに目をやると
車や家や船が津波に流されいて
見たことのない光景に絶句しました。
そこで暮らす人々、家族、生活
数時間前まで当たり前にあったであろう営みが
否応なしに破壊されていっている事実に、
なんの関係もない私自身ですら
1週間くらいご飯があまりのどを通らず
いっぱいいっぱいな感じになったのを覚えています。
それこそ今作のシーンにもある
その土地に残った思いの部分
「おはよう」
「行ってきます」
「ただいま」
「おかえり」
被害状況が徐々に明らかになってくる連日のニュースに
今ここに生きている私たちと同じように
当たり前のように日常を生きていたはずなのに
突如として奪われてしまった人生を想像して
日々心を痛めるばかりでした。


だからなんだと
私が同じ気持ちで寄り添えるわけではないし
傷みも恐怖も悲しみも悔やみも実際に味わったわけではなく
想像することしかできません。

テレビで被災者の精神的な後遺症みたいなのを
去年放送していたのを見たことがあるのですが、
それは当時子供だった方でも
心の機微が分からない人が見たら平気そうに映る感じに
大きく取り乱すわけでもなく塞ぎ込むわけでもなく
思い出そうとすると前に、
その事実から、その話題から、
連想してしまうあらゆるものを遠ざけて
見ないようにシャットアウトしていました。

症状は人によって個人差はあるとは思いますが、
この作品を見ていて唐突にそんな描写を見せられた時、
直接的すぎて大丈夫なのかなと
劇場に足を運んだお客さんを心配になりました。

前作の『君の名は。』も『天気の子』も
架空の大災害をテーマにしている部分はありますけど
今作の直接的な描写はちょっと大丈夫なのだろうかと、
実際に心に傷を負った方の気持ちに私は寄り添えないからこそ
心配になります。

エンターテイメントがしたいのか
ドキュメンタリーがしたいのか
なんだかよく分からなくて
この作品の中での3月11日に起きたであろう大災害も
閉じ師が防げずに起きたミミズによるものなのか?
扱うこのテーマの是非について私は分かりません。

世の中には色々な境遇の人間がごまんとおり、
この震災だけが扱ってはいけないタブーだとは思いません。
名探偵コナンだって殺人事件を扱って
そこにトラウマを抱えて生きている人もいます。

鈴芽のように前を向くことができて、
そういう人もいるだろうし、
そうじゃない人もいるでしょう。

作品テーマ「過去と現在と未来をつなぐ」

鈴芽は
草太さんを助けるために実家の宮城あたりに行き
案の定そこに扉があり、扉の中では草太さんが
要石となってミミズを抑え込んでいました。

なんやかんや色々あって
ダイジンと左大臣が一緒に協力してくれて
草太さんが人間に戻って
要石をミミズにぶっ刺して一件落着します。
そこで幼い頃の自分自身を扉の中の世界で鈴芽が見つけるのですが、
どうやらずっとお母さんを探している様子でした。
ここでの幼い鈴芽が泣きながら必死に
お母さんが迷って帰ってこれなくなってしまってるから
っていうニュアンスのことを必死に訴えているシーンは
ド直球にくるものがあって泣きますよね。
『君の名は。』は人の感情の機微とか分からないと
一体なにが感動するのか分からないみたいな節があるので
今作のこういうシンプルな悲しくつらい表現は
多くの人の涙を誘ったのではないでしょうか。

鈴芽は幼い自分自身に
私は「鈴芽の明日」と自らの言葉で励ましてあげることで
過去の暗い気持ちによって直視できなかった
様々なこととも向き合うことができるようになり、
現在の鈴芽の心も同時にひらけていき
過去から未来へ繋ぐ感じになりました。
幼い鈴芽が現実を受け入れられるようになるのは
きっとまだまだ先の未来ではありますけど。。

前述にもしたように
ちょっと駆け足で色々と独立した個々の問題を
消化していっている感じがして
ひとつひとつが薄まってしまってる気が
どうしてもしてしまって
見ている側としてはちょっと消化不良な感じでした。
でもこれ、
つらい悲しいの押し売りみたいなものでもあるので
理解していないくても泣けるってところがポイントですか。
世間の評価は「良かった」「泣けた」が多くなるとは思います。
私はもうちょっと深いところが見たかったです。

たしか最初の説明で扉の中の星空とかが見えてる景色は
あの世みたいなことを言っていた気がするんですけど、
幼い頃の自分を常世から現世へ送り出してあげて、
ここで鈴芽と草太さんはもうずっと扉の中の
常世で生きていくのかと思ったら
普通に現世に戻ってきました。
うん、
現在の鈴芽が明日を生きたいと思えるようになって
でもずっと扉の中で人生終わるってのもなんか
意味の分からない終わり方になりますし、
なんかとりあえずハッピーエンドや!
的な持っていき方はちょっと感じちゃいましたね。
まぁ、めでたしって感じなのでしょうか。
常世と現世は自由に行き来が可能なんですね。

こういう現在の自分が過去の自分を
許したり認めたり慰めたり励ましたり
色々な作品で色々な形があるとは思いますが、
エヴァとかゼノギアスとかBUMPの楽曲とか
けっこうわりとそういう作品に触れてきた人生なので
この演出のやり方自体は好きです。

音楽と映像の融和が控えめ

今作は「壮大なMV」とか揶揄されるのに堪えたのか
劇中に挟まってきたボーカル曲が
まさかの1つだけでした。
個人的には凄く好きな演出のやり方だったので
盛り上がるシーンとかでは全然使ってほしかったところです。

カナタハルカ

この曲は終盤にかかってくるので
エンディング曲と見せかけてのエピローグ曲
やっぱりRADWIMPSの作曲センスは凄いなと。
そこに乗っかってくる詞も凄いなと。

作品にマッチしているかどうかってよりも
シンプルに素晴らしい曲です。
鈴芽と草太さんの恋愛模様に関しては
劇中からだとあまり心理的な描写を
窺えることができなかったので
この2人の曲って感じはあまりしませんが、
シンプルに素晴らしい曲です。

劇中にない曲がある!?

映画を観終わってYouTubeとか色々見てたら、
なんと劇中で使われていないボーカル曲が
2つもあるみたいです。

そのうちの1つが『Tamaki

いや曲名!そのまんまですやん
仮タイトルのまま命名せずに
世に出してしまった感がすごいですが、
でも曲は聞けば聞くほど良いスルメソングです。
おそらく作中に登場する環さんの心境を
野田洋次郎さんが曲に落とし込んだのだと思います。

作中でもけっこう過保護な描写があり
40代独身で姪と共に暮らすという人物像で
鈴芽に対して心の奥底に抱いていた微かな気持ちを
吐露してしまうシーンがけっこう強烈だったんですけど、
綺麗事だけの側面で片付けないところが
新海作品の人間模様はリアルで良いなと思います。

その気持ちだけではないし
かといって、そんな醜い気持ちも
100%嘘ってわけでもないし
人間ってのは他人に対して
色々な感情を複合的に抱いて生きているのだと
再認識させられる瞬間ではありました。
そういうところを表現してくれるの好きです。


劇中未収録のもう一曲が『すずめの涙

これは解釈が難しそうな
しんみりとした落ち着きのある曲なのですが
一人称が「」の部分と「」の部分があるんですよね。
鈴芽と草太さんの互いに思う曲なのでしょうか。
映画もまだ1回きりしか観てない状態でこの記事書いているので
あまり細かく深いところまで探れないのですけど、
現時点でそういった観点で捉えています。

どちらの曲も使わなかったので勿体ないくらい
素晴らしいメロディーとリリックです。

とても難しい作品でした

総括して
感想を書き綴っていても未だにもやもやしていて
とても難しい作品だと思います。
よかった」とか「楽しい」とか
そういう気持ちよりも
現実に起きた震災のことがどうしても頭にちらついて
この作品をどう評価して良いか分からないです。
理屈では分かってはいますけど、
何か引っかかってる感じがとれません。
エンタメなのかドキュメントなのか
どっちかじゃないとダメなの?
ってわけではないし、
純度100%のオリジナルで作れとも思ってませんが
もやもやが凄く残る作品でした。

けど、
今まで他人事に思ってきていた人たちも
実際に起こった災害に対して
亡くなられた方や残された被災者の方が
どんな思いで災害以前までを生きていて、
どんな思いで災害以降を生きてきたのかを
具体的に想像させるという点においては
素晴らしい啓発的な作品なのではないでしょうか。

生きている限り明日は我が身で
それは天変地異による災害だけではなくて
事故や事件や疫病や戦争や国家侵略であったり
人が想像し得ることは、すべて起こり得ます。
日常はあまりに脆く簡単に壊れてしまいます。

新海誠監督作品は当たり前のように
作画とか背景とか動きとかとかが、
本当に現実と差支えないほどに
不自然な点が目につかないクオリティを
毎度の如く醸し出してきてくれて
新海作品にはそれを求めるのが
当たり前のようになってしまってるのが怖いですが
今作もそこに関しては裏切られることなく
高品質な素晴らしいアニメーション映画でした。
(文句ばっか書いてすみませんでした!)

次回作も期待しています。

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